『好きな人も、嫌いな人も、自分にとっては価値のある人』 

 

本当に嫌いな人が、目の前に現れたら

 

「神様が自分を鍛えるために遣わせた人」と思い訓練しましょう。

 

「好き嫌いを超えた特別な人」に昇華させる。

 

自分にとっては、普通の人ではないんですね。

特別な人と捉えることで、自分の心を広く持ち、器を鍛えることができます。

 

人間はさまざまな「拒絶を受け入れる」ようになることで、自分のキャパを広げることができると

言われています。

 

感情と気持ちは別、感情は無意識に生まれるのに対して、気持ちは理解することで初めて生じる。

 

気持ちの持ち方次第で、人は、フラストレーションを開放できます。

 

この人はイヤだという感情を抑えつけることはできませんが、その人のことを理解することで「嫌い」を「好き」に変えることは可能な場合もあります。

 

嫌な人は自分にとっては性格の悪い人となるわけですが、

嫌いな人を、嫌いな人で終わらせるのでなく、その人の過去や、今の環境を自分なりに想像して

気持を大きく持つこともできます。

 

人間はどんな人にも、平等に良心があります。

人類はみんな「真・善・美」という資質を持って生まれてきています。

 

しかし、その人が望まなくても、家の環境や、学生時代の環境、さまざまな理由で、人間性が低くなってしまった人もいると思います。

 

きれいな良心のまわりが経験を通して、曇り出すわけです。

 

ある意味、きれいな魂でいたくても、いれなかった理由があったのではないか?

と考えるわけです。

 

その人の弱さも、弱くなりたくて、なったのではなく、また

何かに打ち勝つ意志の力も、恵まれない環境が、その人の意志を育てられなかったのかもしれません。

 

要は、そういった「大局的な見方で理解する」という、接し方を頭の片隅に置くだけでも、

噴火型の怒りを、抑えることはできます。

 

習慣づけられるかどうかは、自分の努力次第ですが、、、

 

それが、出来るようになると、自分も穏やかな気持ちでいれるわけですね。

人と接することほど、自分の修練になることはありませんね。

 

ただし、そういう人ほど、小善で接するのでなく、大善で接してあげる必要は

ありますし、そうすることで、その人の良心の周りの曇りを解き放つにも繋がると思います。