考え方を利己から利他へ拡げるのはそれほど難しことではないといわれています。

 

 

 

公共的な立場に立つというは、自分の活動の根拠そのもの、言い換えれば生きてる根拠を公共的な場に置くということです。

 

 

 

わかりやくすいうと、自分の公共の使命を自分に問い続けるということです。

 

 

 

なぜ自分はそれをするのか?

 

そのことに何の意味があるのか?

 

自分は何をすべきか?

 

なんで?なんで?の連続であるべき。

 

 

 

 

 

公共の立場に立つというのは、自分がどれだけより広い視野の中で自分を捉え直すか、

自分の使命をどのレベルで自覚するかということ。

 

 

 

真に公共的であろうとすれば、考え方や立場以上に人格が公共的であるべきです。

 

 

 

京セラの稲盛さんは

 

「人間が一番強くなるのは、執着から解脱した時です。

 

儲けたい、偉くなりたい、長生きしたいというのは全部執着です。

 

その執着、欲望から解脱したとき、人間というのは一番強くなります。」

 

 

これは無欲になったということではなく、

 

自分の立場でやるべきことを100%やりきると同時に、宇宙から見たら俺は大したことは何もやっていないというふうに、サラッとそのことを全否定できる自分であるかどうかということ。

 

 

この捉え方が、生きる極意だと見識者はおっしゃいます。

 

 

 

自分の天命は何かを問う。

 

天は自分に何を求めてるかを意識する生き方=天命を内化する=

 

天との対話を自分の内に、自分の意志に切り替える。

 

 

 

宇宙は見ようと思わなければ見えない。

 

天の道というのは、見えない法則性がある。

 

その法則性が「誠」である。

 

 

 

誠が宇宙の存在。

 

 

 

陽明学を起こした王陽明は宇宙は良知そのものと言っている。

 

 

 

宇宙の無限は、自分の中にもある。

 

 

 

「誠は天の道なり。これを誠にするのは人の道なり」

 

 

 

結論としては、

 

人の道は天の道(宇宙の道)そのものであるべきということですね。